喫茶去
最近読みはじめた本
禅語を書家の石飛博光さんが一文字一文字書いている
今回は禅の心が伝わった一節を紹介します
喫茶去「きっさこ」
嫌いな人にも一杯のお茶を差し出せる余裕
よくいらっしゃいました。まずはお茶でも召し上がれ。
日常の当たり前の光景ですが、お茶を差し出すことほど、私たちの心を写し出すものはありません。あなたは嫌いな人が来ても、お茶を召し上がれと言えますか。
到着したとたんあわてて言い訳しようとする人に、ご苦労さん、まずは一杯、と相手の呼吸を整えてあげることを考えますか。
よく来たね、という気持ちも一杯のお茶が表わし、寒かったろう、というねぎらいの気持ちも一杯のお茶が表わします。
「喫茶去」とは、お茶を召し上がれ、というただそれだけの言葉。
抹茶を立てても番茶でも、理屈抜きに一杯を差し出すことこそ禅の心に通じます。
儀式でもなく、健康や喉の乾きのためともこだわらず、ただ「さあ、お茶をどうぞ」。
茶の湯とはただ湯をわかし茶を立てて飲むばかりなる本を知るべし(千利休)